三浦雄一郎とは
三浦雄一郎とは - 三浦雄一郎の説明・意味・まとめ
目次
三浦雄一郎の名言
命を惜しむと、それまでの努力が無になってしまう
- 三浦雄一郎
ああ、ここ(エベレスト)、滑れそうだな
- 三浦雄一郎
お陰で僕はエベレストからのパラシュート直滑降に成功し、映像はオスカーをもらうことができました。アメリカ前大統領のジミー・カーターさんは、僕の映像を20回以上観てくれたそうで「人間の勇気、夢をあきらめない姿に感動した」と言ってもらえて、そんな嬉しいことも起こるんです
- 三浦雄一郎
目標どおり70歳で初の登頂成功。しかし天候に恵まれず、頂上からはほとんど何も見えなかった。「次はこの頂から晴れ渡った景色が見てやろう」と、5年後にもう一度挑戦することを決めたのです
- 三浦雄一郎
資金集めは飛び込みですよ。ホンダの本田宗一郎さん、松下幸之助さん、サントリーの佐治敬三さんなどの元へ飛び込んではプレゼンテーションをしました
- 三浦雄一郎
目標がはっきりしないと、ただの怠け者になってしまう
- 三浦雄一郎
どうせ死ぬならエベレストに行ってから死のうかと、病気のお陰で目標が出来ちゃった
- 三浦雄一郎
僕は限界に挑戦することで「人類のフロントランナーでありたい」と思い続けてきました。今もその意識は変わりません。しかし、その根っこにあるのは、誰もやったことのないことをやってみたい、周囲を驚かせたいという、純粋に僕自身が楽しんでいる気持ちです
- 三浦雄一郎
リーダーというのは“旗印を降ろさないこと”といいますか、目標設定したことを最後まであきらめないことでしょうね。あとは少しバカなくらい陽気でいないと(笑)
- 三浦雄一郎
父のリハビリの様子を見ていた僕は、「人間いくつになっても夢をあきらめなければ成し遂げられるんだ」と実感しました。「自分も人生このまま終わってなるものか」と再び情熱が沸き起こりました
- 三浦雄一郎
あそこを登って、もう一度来なきゃいかんな
- 三浦雄一郎
電車の窓から白い富士山が見えましてね。本当に美しいなと思いました。そこに“一枚の斜面”が見えるじゃないですか。『ああ、あそこを真っすぐ降りたら楽しいだろうな』と
- 三浦雄一郎
体が太った原因は運動不足と食べ過ぎ、飲み過ぎでしたが、実は目標や夢を見失ってしまったことで、心までメタボになっていたんですね
- 三浦雄一郎
僕のプレゼンテーションの原点は学生時代にあります。当時もスキーをするお金が必要だったから、スキー部の仲間達とダンスパーティーやスキーメーカー協力のバーゲンセールなどの企画を立て、いろいろな人に「この企画はこう役立ちます」と交渉していたんです
- 三浦雄一郎
エベレストには、スポンサーのお金を使って大勢の人を巻き込んで挑むのですから、成功することがスポンサーへの当然のお返しだと思っています
- 三浦雄一郎
「人生、このままたそがれてちゃいけない」と一念発起し、本気でエベレストを目指して始めたのは6年前のことです
- 三浦雄一郎
これが出来たら死んでもいいと思っていますから。死んでもいいというのは自分の限界を知りたいということなんです。そういう執念や勇気みたいなものを持てるか持てないかが、人の実行力に差をつけるのではないでしょうか
- 三浦雄一郎
後から来た人たちに追い抜かれても、全く気にしない。標準タイムがあるのですが、それも僕には関係ない。ところが不思議なもので、頂上に近づくと追い抜いて行った人たちに追いつき、山頂には僕らが先に着くことも少なくありません
- 三浦雄一郎
植村直己が『冒険とは生きて帰ることだ』と言いましたが、これは『死を覚悟して』という言葉がカッコ付きで入っているのです
- 三浦雄一郎
まぁ、全部人間のやっていることなんていうのはね、“先人の肩”といいますか、ここに乗っかって、次はこっちに乗っかって…という繋がりだと思いますねぇ。全くゼロからの創造なんていうのはね、人類が初めてこの世に一歩を踏み出した時ぐらいじゃないですかね(笑)
- 三浦雄一郎
20歳の人が8000m級の山に行くと90歳の身体能力に落ちてしまうんですが、僕は80歳だからプラスして150歳くらいに加齢されるんじゃないでしょうか。人間の生存不可能な次元に入っていかざるを得ないのですが、それをどう超えるかという好奇心に突き動かされています
- 三浦雄一郎
幼少の頃、僕は体がとても弱くて学校を休みがちでした。もし体が丈夫で100mを素晴らしいタイムで走れたら、違ったことをやっていたかもしれない。でも身体的に恵まれていなかったからこそ、誰もやっていない細かな隙間を見つけて突き詰めることができたんです
- 三浦雄一郎
旗印を降ろさない
- 三浦雄一郎
恐怖心があるからこそ、しっかりと準備もするし、用心もする。そう考えれば、恐怖心は決してネガティブなものではありません。自然に対して恐れを抱くことは、冒険をする上ではとても大切なことなのです
- 三浦雄一郎
まだ世界中のだれも挑戦していない80歳でのエベレスト登頂。この俺に本当にできるんだろうか? いや、きっとできるはずだ。そんなふうに自分で自分にワクワクするんです
- 三浦雄一郎
90代の親父に夢と情熱があるなら、60代の俺にだってまだまだ何かできるんじゃないか――。そう奮い立ったのです
- 三浦雄一郎
気づけば「メタボな65歳」になっていた僕の心に、もう一度火をつけるきっかけを作ってくれたのは、父でした。スキーが大好きだった父は当時、「5年後の白寿(99歳)でフランスのモンブランを滑る」という目標を立て、日々鍛錬を積んでいたのです
- 三浦雄一郎
65歳のおじいちゃんがエベレストというと気が遠くなりますが、ちゃんと計画を立てれば出来るものなんです。まずは、富士山、次はヒマラヤ。5000m級、6000m級、7000m級とやっていけばいいんです
- 三浦雄一郎
アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズ氏が、若い人に「ハングリーであれ、愚かであれ」と講演していましたが、その通りだと思います。僕自身も非常にハングリーだったし、周りから「馬鹿」「あいつ何やってんだ?」と言われましたけど、それを恐れちゃダメ
- 三浦雄一郎
エベレスト登頂を前にして、私の体力が、30代後半の水準まで戻ったのは、父親に負けてはいられないという思いが、それだけ強かったからかもしれません
- 三浦雄一郎
これからも「次はどんなことをしてみんなをビックリさせようかな」という、ちょっぴり「いじわるじいさん」気分で(笑)、自分も周りもドキドキ、ワクワクするような冒険に挑んでいきたい。それが、僕の終わらない夢です
- 三浦雄一郎
「夢いつまでも」の人生をたどっていきたいと思って
- 三浦雄一郎
愚かと言われるくらい人の理解を超えた新しい分野に挑戦することが必要です。それを成し遂げてはじめて、新しい時代、あるいは自分自身がひらけるのですから
- 三浦雄一郎
一歩間違えば命を落とす賭けをしているんだから徹底してハングリーでなくちゃいけない
- 三浦雄一郎
1970年にはエベレスト山頂からのパラシュート直滑降に挑戦したのですが、当時の日本人にとってエベレストは未踏の地。誰も知らないエベレストで初の試みをするのだから、しっかり映像を残そうと「どうせなら将来、ハリウッドの映画祭でオスカーをもらえるような映像に」と計画しました
- 三浦雄一郎
パラシュートを使って富士山を直滑降したのですが、「スキーとパラシュートを結びつけた」という斬新さが世界中のニュースになりましたよ。立て続けに新しいことに挑戦して記録をつくれたのは、自分でなければできない「オンリーワンの何か」を追い求めた好奇心の賜物でした
- 三浦雄一郎
(2度のエベレスト登頂を果たした時)涙がでるほど、辛くて、厳しくて、嬉しい
- 三浦雄一郎
自分が「やりたい」だけでなく、やる目的や社会的意義をきっちり落とし込み、相手企業が求めていることを広報宣伝できるよう組み立て、スポンサーになってもらうことができたんです
- 三浦雄一郎
バカ言って笑いとって、『こいつ本当にバカなんじゃないか? でもやってやるか』くらいがちょうどいい
- 三浦雄一郎
最後の最後まであきらめずに、人類の新しい分野のフロントランナーとして挑むことが僕の生きる原動力になっています
- 三浦雄一郎
今度はスキーヤーとして、ヒマラヤの8000メートル峰から滑ってみたい
- 三浦雄一郎
仕事でも日々の生活の中でも、冒険することはできる。そう考えると、今見えている光景がきっともっと輝いて見えてくるはずです
- 三浦雄一郎
順天堂大学の白澤卓二先生に長寿の遺伝子、スーパーアスリート的な遺伝子、それから冒険の遺伝子という要素で、親子3代を調べていただいたんです。ところが、それらは一切なくて、まったく日本人の平均値だと
- 三浦雄一郎
5年前は、500m登るのもフーフー言って、途中で戻って来たりしていました。65才だし、もういいかなと思っていた
- 三浦雄一郎
できない理由より、できる理由を考える
- 三浦雄一郎
世界最高の気持ちです。まさか80歳でエベレストの頂上にたどり着くとは
- 三浦雄一郎
冒険心があったからこそ、山を越え、海を渡り、人類は地球上で生き残ってきた
- 三浦雄一郎
世界6位の高峰ヒマラヤのチョーオユー(8201㍍)の頂上からスキーを滑りたい
- 三浦雄一郎
もうたくさんだよ、疲労困憊(こんぱい)
- 三浦雄一郎
70歳や80歳であきらめる人が多すぎる。80歳がスタートだと思えば、人生がおもしろくなるんじゃないか
- 三浦雄一郎
人生、このままたそがれちゃいけない
- 三浦雄一郎
山には相性がある。山に呼ばれなければ、なかなか行けない。エベレストの女神に3回呼ばれて、とうとう3度目の登頂になった
- 三浦雄一郎
やっと生きて帰ってこられたという感じだ、(カトマンズは)酸素が濃いな。ほっとしているとしか言いようがない
- 三浦雄一郎
(下山は)登りより、はるかに危なかった。一歩間違えたら死んじゃうので。生涯でこれほど疲れたことはない
- 三浦雄一郎
おかげさまで登れた。頂上は素晴らしい快晴、こんなすごいことはなかった
- 三浦雄一郎
夢を見て、あきらめなければ実現できる。すばらしい宝物になった
- 三浦雄一郎
世界最高の気持ちです
- 三浦雄一郎
とうとう地球のてっぺんにたどり着きました
- 三浦雄一郎
エベレストでお茶会をしたとき、外はマイナス25度。でも、絶対8500メートルでお茶会をやろうと決めてたんです。だから茶筅(ちゃせん)から何から全部持っていった。本当は100グラムでも軽いほうがいいのに(笑)。「お父さん、何でそんな無駄なもの」って息子や他のメンバーからは言われました。でもね、すごく効いた。8500メートルの高さでは交感神経が優位になって、興奮して眠れなかったり、落ち着かなかったりするんです。それがお茶を飲んでいるうちにスーツと心が静まって
- 三浦雄一郎
体の老いと心の老いでは、心が先じゃないですか。僕らもやっぱり同窓会に行くと、「俺はもうダメだ」とか、「あっちが痛いこっちが痛い」「老人ホームはどうする」とネガティブな話題が湧いて出てきて、当然、自分もそういう話の輪に入っていくものだと思っちゃうんですよね
- 三浦雄一郎
スティーブ・ジョブズ氏が、若い人に「ハングリーであれ、愚かであれ」と講演していましたが、その通りだと思います。僕自身も非常にハングリーだったし、周りから「馬鹿」「あいつ何やってんだ?」と言われましたけど、それを恐れちゃダメ
- 三浦雄一郎
人は命を賭けると「生きて帰るんだ!」という強い力が出てきます
- 三浦雄一郎
焦らない。無理しない。頑張りすぎない
- 三浦雄一郎
ビジネスでもどんな分野であっても死んでもいいほどの意志を持てたら最高の能力が発揮できるんです
- 三浦雄一郎
年齢を重ねて諦めることが増えたとしても「自分」を諦めてはいけない
- 三浦雄一郎
一瞬の成功は長い準備期間から。冒険に必要なのは忍耐であって勇気じゃない
- 三浦雄一郎
エベレストに登るという夢を持った途端人生が変わった。そして、夢を持てば実現できることを改めて知った
- 三浦雄一郎